カーブの先に、まだ見ぬ道がある
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8/21/20261 分読む


カーブの先に、まだ見ぬ道がある
ソノマとナパを走りながら、恐怖と歳を重ねることについて考えた
ソノマとナパの美しい丘を眺めながら、頭の中ではずっと、
「カーブの先を見ろ。カーブの先を見ろ。カーブの先を見ろ!」
と自分に言い聞かせている。
冷静に考えると、ちょっと笑える。
先週、またバイクに乗って北カリフォルニアのワインカントリーを走ってきた。青い空、緑と金色の丘、曲がりくねった道、どこまでも続くブドウ畑。普段なら数キロ走るたびに止まって写真を撮りたくなるような景色だ。
でも今回は撮らなかった。
というより、撮る余裕がなかった。
まだ初心者ライダーの俺にとって、今のところ「写真作品を増やすこと」より「無事に目的地へ着くこと」のほうが、少しだけ優先順位が高い。なのでカメラはそのまま。
その代わり、ソノマとナパを二輪初心者特有の、妙に研ぎ澄まされた感覚の中で味わうことになった。
ある瞬間には、
「これ、今まで走った中で一番きれいな道かもしれない」
と思っている。
その次の瞬間には、
「後ろのスバル、俺のせいで遅くなってないか?」
……たぶん、なってる。
ごめんね。
カーブの先を見る
丘の中を縫う道では、気を抜けない。
バイクを倒す。行きたい方向を見る。無理のない速度を保つ。道路の端を見るな。手の力を抜け。習ったことを思い出せ。そして何より、道路から出るな。
その全部をやりながら――できれば景色も楽しむ。
なかなか忙しい。
車でワインカントリーを走るのも美しい。でもバイクだと、まったく違う。
フロントガラス越しに景色を見ているんじゃない。なんというか、自分が景色の中にいる。
「そりゃそうだろ」と言われればその通りなんだけど、乗るまではちゃんと考えたことがなかった。
気温が変わる。風が変わる。匂いが変わる。道路の上り下りを身体で感じる。
そして、またカーブが現れる。
はい。景色鑑賞終了。仕事に戻ろう。
バイクを傾けてカーブに入り、全部がうまく噛み合った瞬間には独特の高揚感がある。
もっとも、俺が「けっこう倒したぞ」と思っていても、後ろの車から見れば「そうでもない」可能性は高い。
それでも感じる。
恐怖。集中。そして興奮。
「自分にはできるのかな」と思っていたことを、今ちゃんとやっている。
その感覚が楽しい。
恐怖心は年齢とセットらしい
走り出す前には、いつも「恐怖」という友達と少し話をする。
歳を重ねるにつれて、恐怖はいつの間にか、ずっとそばにいる相棒みたいになった。
若い頃の俺は、ほとんど何も怖がらなかった。
ものすごく勇敢だった……と言いたいところだけど、たぶん脳の中でリスクを判断する部分が、よく昼休みに出かけていただけだと思う。
若さには、
「悪いことが起きるのは、だいたい他の誰かだ」
と思わせる不思議な力がある。
でも、歳を取ると変わる。
長く生きていれば、何人かが道から外れていくのを見る。文字どおりの場合もあれば、そうでない場合もある。
友人がいなくなる。計画が変わる。関係が終わる。誰も予想していなかった方向へ人生が曲がっていく。
悲しんで、それでも前に進む。
そして時々、
「自分の番はいつなんだろう?」
と考える。
人生が永遠ではないという証拠が少しずつ増えていくと、「いつかやろう」と思っていたことが、急に大切に見えてくる。
まだやっていないこと。まだ言っていないこと。まだ見ていない場所。
まだ走っていない道。
今の恐怖は、単純に「怪我をするのが怖い」というものではない。
失うものがあると知っているから怖い。
歳を取ると、ギアも変わる
ありがたいことに、バイクには人生の比喩に使えそうなものが最初からたくさん付いている。
歳を重ねるにつれて、俺自身も少しギアを変えてきた気がする。
20歳の頃の目的は、だいたい**「もっと速く」**だった。
今は、それより**「走り続ける」**に近い。
これはけっこう大きな違いだ。
だからといって、冒険したい気持ちがなくなったわけじゃない。むしろ俺の場合、前より強くなっている気さえする。
ただ、今の冒険には同乗者がいる。
恐怖が後ろのシートに乗ってくる。
たぶん大事なのは、恐怖を消すことじゃない。
恐怖を後ろに乗せたまま、どう走るかを覚えることなのかもしれない。
サドルから見える景色
走っている間、何度か「止まって写真を撮ればよかった」と思った。
丘の向こうへ消えていくブドウ畑。木々に囲まれたカーブ。谷に差し込む陽の光。
普段なら、きっとカメラを向けていた。
でも、何でも写真に残さなくてもいいのかもしれない。
写真は時々、
「自分は確かにここにいた」
という証拠になる。
今回のツーリングには、そういう形として残る証拠があまりない。
でも今は、前より少し深くバイクを倒せることを知っている。
カーブへ入っていく感覚。カリフォルニアの太陽。丘。ブドウ畑。また道が曲がり始めたときの小さなアドレナリン。
そしてヘルメットの中で、
「カーブの先を見ろ……そう、そこ。手の力抜け……」
と一人でブツブツ言っている。
傍から見れば、たぶんちょっと怪しい。
でもヘルメットをかぶっているから誰にも聞こえない。たぶん。
まだ走っていない道
死ぬこと。恐怖。リスク。歳を取ること。バイク。
そして、俺の後ろをぞろぞろついてくることになった、気の毒なドライバーたち。
そんなことを全部考えた末に、たどり着いた結論は驚くほど予想どおりだった。
またバイクに乗りたい。
できれば、すぐに。
次はもう少し遠くへ。その次は、さらに少し遠くへ。
ちょっと難しい道でもいい。今度はもう少し自信を持ってカーブに入れるかもしれない。ひょっとしたら、ちゃんと止まって写真まで撮るかもしれない。
走るたびに、自分の限界がほんの少し先へ動いていくような気がする。
壁を壊して、神経回路を作ってるとか……まあ、そんな感じの何かだろう。
毎回ほんの少し遠くまで行って、
昨日「ここが限界だ」と思っていた場所が、本当の限界じゃなかった
と知る。
まだ新しいことを覚えられる。
まだ緊張できる。
まだ上手くなれる。
まだ自分自身に驚ける。
歳を取るということは、もう一度怖いもの知らずになることではないのかもしれない。
俺はもう、そんなふうになりたいとも思わない。
恐怖には、恐怖なりの居場所がある。
この道が大切なんだと思い出させてくれるから。
でも、どの道を走るかまで恐怖に決めさせる必要はない。
まだやりたいことがある。
まだ言いたいことがある。
まだ見たい場所がある。
そして、まだ走っていない道が、かなりたくさん残っている。
だから、これからもギアを変えながら走っていく。
カーブの先を見続ける。
そして当分の間は――
たぶん、後ろの車に「ごめんね」と思いながら走り続けることになる。
